コントから夢日記まで
毎月恒例(?)の読んで「ああ、よかったな~」と感じた
はてなブロガーのブログ記事を紹介していく企画。
・・・ということで今月分をざっと載せていきます。
だからボクは今後、オープンカーに乗っている運転手を見かけた時には、なるべく優しくて温かい目を向けてあげようと思う。
優しい世界・・・。
自宅のテレビで『少女革命ウテナ』を見た。金魚が喋っていた。お嬢様みたいな口調だった。テレビが水槽の役割になっていて、金魚と喋ることができた。何を話したかは覚えてない。
自分はぼんやりとしか夢を覚えてないので、ここまで鮮明に思い出せるのちょっと羨ましい。
夢日記つけるとはっきり思い出せるとよく聞くので、やってみたい気持ちはある。
大阪駅の「赤白」行ってみたいのよね~。
庭園ができる理由にも色々あって、庭園によってキャラクターが色々あるのを感じることで、そもそも当時庭園とは何だったのか。建築主は何を欲しくてこの景色を作ったのか、色々探っていくことは、推理小説のようでもある。
共通していることは、過去に向き合うことで原因と結果の山が存在することを感じることができることだ。今は今でしかないが、その地面にはたくさんの迷いが埋まっている。それらを未来に対して反映させることができるのは、今生きている我々しかいない、というのが楽し過ぎる。今に眠る過去の成功や失敗の数々、活かすしかない。
京都は平安時代からとかの庭が(形は多少変わっているだろうけど)
ちゃんと残り続けているのを思うと、やっぱりすごいよねと改めて。
turqu-videogame.hatenablog.com
良いとか悪いとかではなく、人と対戦しなければ意味がないと格闘ゲームを捉えるようになったのはいつの頃からなのか。そう思うようになってしまったことに言いようの無い寂しさと切なさを覚える。COM対戦にはプレイの多様さはそれほどないし、人と切磋琢磨する面白味もない。「ザンギエフを画面端でジャンプ大キックだけで倒すことの何が面白のか?」と問われたら、ただただ照れ隠しに頭を掻くしかない。でもそれでも良かった。それで良かったし、それが良かった。
ただ、そこに言葉がなかったことの妙なロマンチックさがある。それを思い出すと無性に懐かしくなる。奇妙な遊びだったからこそ、かけがいのない時間だったような気がしてくる。
自分も、スマブラは基本一人プレイだったのでちょっとわかる。
自分の作ったシステムで海外のレストランを予約して食べるって、なんか素敵。
どれも美味しそう。
テレビで濱田岳の語ったエピソードを覚えている。
子役時代に(確か)蟹江敬三から「君に100人のファンがいたら、別の100人から憎まれてると思いなさい」というようなことを言われたそうだ。
さらに僕なりに付け加えよう。
「君の100人のファンはあっという間に君に飽きて、忘れるだろう。そして、君を憎んだ100人は、君を見るたびにその嫌悪感を思い出すだろう」
インターネットって誰に見られているかわからないので、
こういうのは心に刻んておきたい。
理想は「非日常」を連休中だけでなく、普段からできるようにすること。
いつもと同じ生活パターン、行動パターンだとルーティンで回してしまうので体力は余って使い尽くせない。刺激がないから心(MP)だけが摩耗していくだけ。
普段の日常の中に一つでも「非日常」を取り入れて、全力を尽くしていくことでより人生を充実していける。そんな日々を送るように心がけていきたいものです。
いやーこれわかるな。
あと、気になったのは、出場選手が多いアメリカやフランスは豪華客船なのに、4か国で1つの船に同乗したり、ブータンは小さいモーターボートだったりと、あまりにも格差があったことです。
これは「差別の見える化」と言ってもよいのではないでしょうか。人数が違うからというのは理由にはなりません。
これ自分も見てて思ったけど、どういう基準でやってたんだろう?
いきなりレディーガガは見る側としても困惑した(アメリカ人・・・?)
ダンスとか結構適当な感じで、これぐらいでいいんよ感があって面白かった。
誰もが知る歴史と建築とが残っているのは強いよね。
・・・長くなってきたので、そろそろこの辺で。
先月のおすすめはてなブログはこちらより。