クリエイターと人工知能
先月、「ほぼ日刊イトイ新聞」が27周年を迎えたらしい。
糸井重里さんが毎日エッセイを書いているサイト、ご存知の方も多いはず。
「27周年の挨拶のことば」でAIについても触れられていたので軽く紹介。
これまでの時代これまでの社会って、 生きものであるきもちわるい人間に、 無理やりスッキリさせようとしてきたんですよね。
いわゆるひとつの近代社会ってしくみで。
で、そういうスッキリものの象徴が、 なにかと話題の人工知能でしょう。
これはもう、たしかに、ほんとにすごいと思うのです。
スッキリの親方、スカッとの神、クールの王様。
もう、ほんとに役に立つやつですよ、おそらく。
ただ、人間であるぼくらは、 ソウイウモノニワタシハナリタイのだったか?
もしかしたら、なりたがっていたのかもしれませんけど。
だけど、AIの驚くほどの進歩を見せてもらえたおかげで、これはちがうかもって、気づかせてもらえたんです。スッキリしてないほうの、生きものっぽいほうのじぶんたち人間の側にこそ、ぼくらの望む価値があるって。そういうことを実感せざるを得ない時代にも、もう、なりかかっています。スッキリ方面にはいろいろ助けてもらいましょう。でも、人間であるぼくらはどう生きたいのだろうか。生きたい側に舵をとろうよ。未来は、現在のなかに混じり込んでいますから、こういう気分は、とても多くの人が感じているはずです。
コピーライターは「AIに取って代わられやすい職業」とも言われるだけに、
危機感はすごいんだろうなぁと。(糸井重里さんレベルだと大丈夫だろうけど)
確かに"スッキリ"させたいAIに対して、
人間は"生きたい"とウジウジするぐらいがいいのかも。
「AIは欲望がないから、人間と同じレベルにはなり得ない」とよくいうけれど、
技術的にこの点をどう克服しようとするのかはわりと興味があったりはする。
あともう一つ紹介したいのが、作家・九段理江さんのことば。(『東京都同情』の人)
思いっきりHPのノートPCのプロモーション記事なんだけれど、一応紹介。
「アイデアをもらえることはあるし、一方で自分のアイデアのほうが優れているなと励まされることもありました。ただ、自分の考えている以上の驚くような回答はもう出ないんだろうなという気はしています」
九段理江がAIに対して抱いている好感は、何よりもその「誠実さ」にある。ただし、それは人間的な意味での優しさや、倫理的な真面目さとは異なる。彼女が評価するのは、AIが感情に左右されず、常に一定の応答を返してくれるという動揺のなさだ。
だからこそ、AIが“人間っぽさ”を強調するアップデートには懐疑的だという。最近のAIは「いい質問ですね」や「おつらい気持ち、わかります」といった、あたかも感情的なフレーズをはさんでくる。だがそれは、九段にとってはむしろ煩わしく、時に会話のリズムを壊す存在になると九段は考える。
感情をもたないからこそ、AIはブレない。人間のように気分にムラがなく、会話の終盤になっても投げやりにならない。一貫性を保ち続けるその姿勢は、ある意味で人間よりも安定した存在になりうる。「感情がないからこそ、それができるんです」
後半はHPの宣伝みたいになるので特に触れないけれど、
ちょっとわかるな~これは。
ChatGPTが最近やたらと"人間味"を出してくるけれど (特に音声版)
「そんなんええねん!」と感じるは少なくないはず。
AIはロボットらしくしておいてほしい、というのは人間のエゴなのかどうなのか。
ただ、そもそもの根源として、
ゲイのイギリスの数学者 アラン・チューリングが、
若くして亡くなってしまった恋人を取り戻すために人工知能の構想を作った、という説もあったりする。
「彼の全人生をかけた人工知能の探究は、ほとんどのクリストファーを取り戻すためにあったのだと思います。あの機械にクリストファーと名づけることは、彼の願いを明確に描くためのひとつの方法だったのです」
こういうのを見ると、AIってどの方向に進むべきなのかが僕にはもうわからないし、
結局人間の欲望のまま振り回されて、結果、"何か"が生まれるのだ、としか言いようがないんだろうなと。
有名人のAIに関するインタビュー、なるべく目を通すようにはしているけれど、
みんなそれぞれの立場や思うことがあって、面白いよね。
なんか何が言いたいのか自分でもよくわからないブレブレの文章だったけど、
時間もあまりかけられないのでこの辺で。
※この記事は8月に毎日ブログを更新するイベント「ブローガスト」7日目の記事です。