よかった記事振り返り
毎月恒例になった(?)
読んで「ああ、よかったな~」と思った はてなブログを
紹介していく企画。
(※好き勝手紹介しているだけなので、特に反応とか結構ですので)
・・・ということでざっと載せていきます。
今までは自由に飲めていたのが急に規制がかかり、定時に僅かな水が供給されるのを有り難く飲むようなものだ。Twitterはいつからマッドマックス 怒りのデス・ロードの世界観になった?ある意味最初からそんな世界観だったわ。
タダでツイッターを楽しもうと思うなら、わけわかんねえ広告をガン見するというのは仕方のないことではあるのかもしれません(広告を出す側は、もっと倫理とかを頑張って考えたほうがいいとは思います)。われわれは、タダより高いものはない、という言い伝えを思い出すべきです。
自分が海外旅行は不快だと思いながらもたまに行ってしまうのは、自分のマジョリティ性に無自覚でいたくない、不快な思いをしている人に対して多少なりとも想像力を持ちたいと思っているのも理由の一つかもしれない。
これすごいわかる。
絶対にやりたいメインと、あとはサブをなんとなく列挙しておき、
あとは旅行の流れに任せる感じ。
nemutage-twitter.hatenadiary.jp
短文ブログ、こういうのちょっと真似したくなった。
このサブブログでも真似してみたい。
海外のインスタグラム経由で知った、
95歳の方が書いておられるブログ。
明晰な文章がすごいしどの記事も読み応えがある。
相互Couch Surfin的なサービス「サーバス」聞いたことなかったけど
そういうのもあるのか。
社会に対して物申したかったり、変化を望んでいたりする、いわゆるリベラル的な考えを持っていて、それを話したり、つぶやいたり、時としてデモ活動に参加したりすると、「思想が強い」なんて言われることがある。そして、この言葉はたいていそういう人たちを観測した結果の感想に使われる印象だ。距離を取られてる、どこか引かれている、ともすればバカにされているような感覚すらある。同時に、難しいなあとも思う。
そう自ら選択したとも言えるし、だって、ゲイなんだからしょうがないじゃん、と、これはそもそも選択ではなく、自身を受け入れた結果だとも言えるけれども、類、種としての目的が次世代を創ってつないでいくことだとするならば、僕はそこには与しないわけで、何の後ろめたさもないかと言われると、なきにしもあらずである。
初期設定がこうであることは、僕が意図して選んだ覚えはないけれど、初期設定がこうであると受け入れるしかないんだよな、と受忍したのは僕の意志であり、選択である。
だって、しゃあないやん。この視点、設定で幸せになるしかないんだしね。
フィルムカメラで撮られた(であろう)京都の祇園祭の様子。良い。
「ウィーン」
7月分はそんな感じで。