よかった記事振り返り
いまさらだけどはてなブログの振り返り(Part2)。
2023年6月の印象に残ったブログ記事をいくつか紹介します。
インド人は距離が近いので観ている間は私の足に足を乗せてきた。それを下ろすという作業をしながら観る。ときどき画面に黒い線が入り、観客は声を上げる。そうすると映画館の人が直す。映画の中の人たちは踊っていた。王子様とお姫様の話だった。街中ではよく撮影をしていた。本当に映画が盛んなのだと思った。
映画が始まる前の広告も注目すべき点だ。映画以外の広告があるので上映時間になってもまだ人は入らない。エンドロールはどの国でも見られないように思う。
薄々気づいてはいたのだけど、書くと書いた対象について自分の中で区切りが生まれてしまうみたいだ。これまで好きなことについて好きなように書いてきたのだけれど、書くと熱のようなものが冷めて、最近それが気になっている。
この作用と相性がいいのは、1か月ほど前に再開した読書ノートで、読み終わった後に本の感想をノートに書くと、読んだ本が本当に他人のような、ちょっと遠い場所に収まるような感じがする。
それを聞いて思ったけれども、逆に日本では大人はお金を使わないことが「いい大人」のすることじゃないように思われているように感じる。
rin-n-nengo-chuzai-gay.hatenablog.com
どんな分野でもいい、「受け手」ではなく「作り手」に回ってみたい。世界のあちこちに散らばっている膨大な量のコンテンツを、ピンクの生命体のように吸い込み続けるのも悪くはないけれど、なんというか、これでいいのかとたまに思ってしまう。
今のところ、翻訳という営みの9割はしんどいものなのだけど、それでも「楽しい」と思える瞬間がある。例えば、複雑な文章の構造を理解できたとき。月並みな表現ではあるが、霧が晴れたような気持ちになる。アハ体験ってそういえばあんな感じだった。ほかには、われながらいい訳が思い浮かんだとき。1ページに2回くらい「これだ!」という訳が思い浮かぶ。いや、あれはもう思い浮かぶというより「降ってくる」に近い。
もしこの仮定が正しいとするとフイルムカメラで撮った写真の、高画質という単語からは外れる方向の、諧調のつぶれ方、色再現の転び方、粒子の見え方、が加わった「フイルム画質」が懐かしさ強度を増す方向でアシストしている。それを項目別に定量的に証明するのは困難なのかもしれないし、もっと乱暴に「見た目の高画質からなんでもいいけど低画質に転んでいればすべからく」懐かしさを誘発するのかもしれない。
そんな感じで。
7月もいい記事がたくさんあったので、
(個人的な観測範囲だけど) 紹介したいな~と。