魔女狩りからオマーンまで
毎月恒例の読んで「ああ、よかったな~」と感じた
はてなブロガーのブログ記事を紹介していく企画。
(※好き勝手紹介しているだけなので、反応とか大丈夫です)
・・・ということで今月分をざっと載せていきます。
katari-mata-katari.hatenablog.com
自分の使っている言葉を遊びのようにしつこく追っていくのはおもしろい。もちろん常にではない。そういう言い回しをするのか、と軽く感銘した言葉を別のところで使ってみたりする。中には言葉そのまま使ってみて何かしっくりこないというか、伝えるのにこの言葉では不十分な気がするときは、声の感じや言葉の一部を変えてみたり、雑談において言葉を発する実験みたいなことをしている。
言葉を楽しむと会話が楽しい。自分の言いたいことに合った言葉で相手に伝えて、相手に少しずつ伝わっていくのは、注文した料理を席で待っているような気持ちがする。
自分もポッドキャストをやるようになってから、
正直めんどうくさいな、と思う会話も言葉尻とか、相手の感情とか読むようになって、
違う視点から楽しめるようになってきたので、とてもわかる。
カスティリオーニといえば、去年知り合いの畑にお邪魔してハスカップを収穫しているときに、草むらの中に錆びついたトラクターを発見して「椅子の図鑑で見たやつだ!(進研ゼミでやったやつだ!)」となった。調べるとこれ実は順番が逆で、トラクターの椅子が先にあって、それを模してカスティリオーニの『メッザドロ』が作られたという。
コインロッカーの展示めっちゃ良い。
・・・というか写真のセンスが羨ましい。
オマーン行ったことある少なだろうし、ずっと飲み会のネタにできそう。
もっと写真がみたくなったな。
この本で紹介されている、家族内で告発しあって大勢の処刑者が出た事例を読んでいくと、隣人どうしの不仲や地権、公共の場所の管理の問題、世代間の不和、などがきっかけで、恨みや妄想がつのり、「あいつは魔女だ!」との告発に至ることが多かったようです。人は、恨みつらみが重なると、「魔女」とか「魔法」が本当に見えるようになるのか、それとも、「見えたことにしてしまう」のか?
すなわち魔女というのは、当時の寿命から考えれば最高齢の年齢制限に属する人たちであった。だから魔女狩りとは、フェミニズムの立場からは、まさに「男性の女性に対する、とりわけ老女に対する犯罪」であろう。
魔女狩り、現代のあれこれともしっかり結びついているように思えるし、
思わずウィッシュリストにいれた。
文章は読む人にとっては頭の中で鳴る音の連続だ。それを心地の良いものにするのは書く人にしかできない。経験則だが、その心地良さに乗ってこそ人は理解の扉を開くことができる。きっと言葉の意味よりも言葉の持つ音の方が原始的に人間の何かに訴えかけるのだと思う。
自分も文章のリズム、もうちょっと色々トライしていきたい。
katari-mata-katari.hatenablog.com
音楽は、自分の経験や今の気持ちも合わせ、全身でもって聞くことができる代物である。自分にも、まがりなりの人との出会いや別れがあったのだ。
ひさびさにGLAY聴きたくなった。
以前、佐々木敦『あなたは今、この文章を読んでいる。 パラフィクションの誕生』を読んだ時、「ゲームって結構パラフィクションだよな」と強く感じた。
ボタンの原理が倫理を問いかけるという構図は、パラフィクションにおいても成立するのかもしれない。
前から気になっていた本。
たぶん書き出しの瞬間には、日記なんていうごくフツーのものにあこがれるなんて変なの、くらいの偏見があった。偏見が解消されていく文章はよいものだな。「日記」じゃなくても、書いてよかった。
日記上手い人の文章はほんとうらやましいのわかる。
そして、ノンアルコールビールを飲むことによって「お通し」の意味も理解できた。いままではお通しを10秒で食べてウーロン茶を飲んでいたのだが、ノンアルコールビールを飲みながらゆっくり味わえるようになったし、席についてすぐ出てくる料理のありがたさを理解した。
かくしてわたしは、「おつまみ」の意味を50年以上かけて理解することとなった。この調子だと死ぬまでにあといくつ世界の謎を解けるのだろうかと不安に思うが、まずは発見を素直に喜びたい。
他人の視点を通して、新しい発見のある文章はありがたい。
・・・そろそろこの辺で。
先月のおすすめはてなブログはこちらより。